荒原神社・曾尼の駅家跡に続いて、ヤマトタケルノミコトの逸話が残る、現原の丘・化蘇沼稲荷神社へ行ってきました。
現原の丘
「行方」という地名の由来となったお話が、常陸国風土記 行方郡の章に書かれています。
ヤマトタケルノミコト(常陸国風土記では天皇と書かれています)が東方征討の途中でこの地を訪れた際に、手を洗おうとして勾玉を落としてしまった「玉の清井」について以前書きましたが、
その続きとして、その後ヤマトタケルノミコトが現原の丘で食事をし、その美しい景色に感動して言った言葉にちなみ「行方」という地名がつけられたことが記されています。
常陸国風土記 行方郡
…その清水の井は今も行方の里の中にある。玉の清井という。そこからさらに御輿を廻らして現原(あらはら)の丘においでになってお食事を差し上げた。この時に天皇は四方を遠く見はるかしなさって、ご前にいる高官たちをふり返って仰せられるには、「輿を止めて歩き回りつつ目をあげて見渡してみると山の走る隈々・流れ海の湾曲の高低長短が入り組み交わりくねくね曲りくねっている。山の峯は雲を浮かべ、谿(たに)の稜線は霧を抱擁している。万物の形状配色は心に沁みて美しく、この国土の姿形に大そう心奪われる。(この形態にちなみ)この土地の名を行細(なみくは)し国というがよい」とおおせられた。後世になって、この仰せ言を承けて同じように行方と名付けた。土地の人の諺に、立雨零る行方の国という。
その岡は高く明らかに眼の前に広がっている。このように立ち露れているので現原と名づけた。岡から下って…
(「風土記(上)」角川ソフィア文庫 現代語訳より引用させて頂きました)
話から想像すると、1000年以上前の現原の丘からは、雄大でとても美しい景色が広がっていたんだなぁと思ったり。
「現原の丘」の遺称地へ行ってきました。
曾尼の駅家跡から車で約10分。
現原の丘は、玉造ゴルフ俱楽部若海コースの近くにあります(Googleマップで、玉造ゴルフ俱楽部若海コースを目印に向かいました)。
Googleマップ↓の黄色印の部分辺りにあります。


石碑と案内板が立っています。

今は畑とゴルフ場に囲まれていますが、ここが現原の丘の遺称地!!と心の中で思いながら、写真をパシャパシャ撮っていたら、可愛いワンコちゃんをお散歩中の紳士が通りかかり、声をかけてくださいました。
お話をしていたら、案内板に記載されている天然記念物の樹齢800年のスダジイが自分の家の敷地にあるから入って見ていきな、と行き方を教えてくださいました。
お礼を言い、紳士とワンコちゃんと別れ、さっそく天然記念物のスダジイへ向かうと、立派なお家の前に案内板が。

なるほど、古代はシイの木の実が食べられていたんだと思いつつ、、、、木はどこだろう?と見回したのですが、姿が確認できず。
家の敷地の中とおっしゃっていたことを思い出し、ドキドキしながらお邪魔させていただくと、立派でかっこいいスダジイがありました!すごいなぁ!


化蘇沼稲荷神社
スダジイを後にして、化蘇沼稲荷神社(住所:行方市内宿1571-1)へ。
化蘇沼稲荷神社がある辺りは、常陸国風土記に出てくる藝都里(きつのさと)と呼ばれる地域だったといわれています。
化蘇沼稲荷神社

拝殿

ご本殿

朱塗りのお社が綺麗です。
化蘇沼稲荷神社は、1478年に領主の大掾氏によって創建されたそうです。

ご神木のモミの木。


↑の神社誌によると、この地方が芸津郷と呼ばれていたことや、神社の裏に沼があり、そこに奥の院があることが書かれています。
後日、他の方のブログを読んでいたら、神社の裏を進み奥の院を参拝できたこと・宮司さんに連絡したうえで御朱印がいただけることを知りました。
また参拝したいです。
境内には彫刻家 宮路久子さん作の寸津毗古・寸津毗売の像が。


常陸国風土記 行方郡の章にはこんな話が書かれています。
常陸国風土記 行方郡
…
当麻の里から南に芸都(きつ)の里がある。ずっと昔、国栖の、名は寸津毗古(きつびこ)・寸津毗売(きつびめ)という二人がいた。その寸津毗古は、天皇がおいでになった折りに、仰せに違反し教えに服従せず、たいそう無礼であった。そこで天皇は御剱を抜いて即座に斬り殺された。すると寸津毗売は恐れおののき嘆き訴えようと、白旗をはっきりと高く掲げて、み輿の道に出迎えて拝礼申し上げた。天皇は憐みをかけて恩恵を与え、一家の罪をお許しになった。また御乗り物をめぐらして小抜野(おぬきの)の行宮にお行きになる。すると寸津毗売は姉妹たちを引き連れ、真心を尽くし、雨風をいとわず、朝夕お仕え申し上げた。天皇は寸津毗売の至らぬところない細やかな心配りに、喜び慈愛(うるわ)しみなされた。そこで此の野を「うるわしの小野(おの)」という。小抜野の…
(「風土記(上)」角川ソフィア文庫 現代語訳より引用させて頂きました)
天皇とはヤマトタケルノミコトのこと。
ヤマト王権への服従を迫ったヤマトタケルノミコトに対して、先住民である藝都里(きつのさと)のリーダーである寸津毗古は反抗したが殺されてしまい、もう一人のリーダーである寸津毗売が全面降服したというような内容です。
常陸国風土記を読んでいると(古事記や日本書紀もそうですが)、ヤマト王権側が謀略と武力で先住民を結構強引に討伐・服従させていったお話も少なくなく、当時このような勢いでヤマト王朝は征服地を広げていったんだろうなと思いました。
北浦湖畔で夕日を眺める
夕日が沈む北浦湖畔が綺麗だったので少し眺めて、

大晦日の夕方の鹿島神宮を参拝して、帰りました。

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